料理が嫌いだと、以前のブログでも潔く(?)告白した。日々の献立を考えるのは苦痛だし、キッチンに立つ時間は最小限にしたい。けれど、そんな私でも昔からずっと続けてきた、唯一の「聖域」がある。それが、家族の誕生日とクリスマスに焼く手作りケーキだ。
私の母は、無類の料理好きだった。昭和のあの頃、外食という概念が今ほど身近ではなかったせいもあるだろうが、母の作るものはすべてが「手作り」だった。毎日の食事はもちろん、お菓子にパン、おせち料理、正月用の餅、さらには寿司まで握る。家の中にはいつも何かしら美味しそうな匂いが漂っていた。
そんな完璧な母が、たった一つだけ「攻略」できなかったもの。それが、真夏に生まれた私の誕生日ケーキだ。
いちごの季節とは対極にある夏。それでも母は良かれと思って、毎年ケーキを焼いてくれた。真っ白な生クリームの上に乗っていたのは、いちごではなく、夏でも手に入るキウイやメロン、そして缶詰のみかんや桃。
せっかく作ってくれたのだからと、子供心に文句も言わずに食べたけれど、正直に言えばガッカリしていた。生クリームの甘さと、それらのフルーツの酸味や水気が、どうしても私の中では噛み合わなかったのだ。「誕生日は、やっぱりいちごが乗ったケーキが食べたかった」——その小さな渇望が、私の原点になったのかもしれない。
幸いなことに、自分の子供たちはみんな、いちごの季節に生まれてきてくれた。だから私は、彼らの誕生日にはこれでもかというほど、真っ赤ないちごをふんだんに使ったケーキを焼いた。キッチンに立つのは相変わらず面倒だけれど、子供たちが「お母さんのケーキは世界一美味しい」と頬張る姿を見るのは、何物にも代えがたい喜びだった。
時は流れ、あんなに賑やかだった家からも子供たちは巣立っていった。今では夫婦ふたりの静かな暮らしだ。けれど、今でも家族の誕生日が来れば、私は相変わらずいちごのケーキを焼いている。
もう「誰かのために頑張るお母さん」を卒業してもいいはずなのに。それでも焼くのは、結局のところ「自分のため」なのかもしれない。あの夏、どうしても叶わなかった「いちごたっぷりのケーキを心ゆくまで食べる」という夢を、今の自分なら、自分の手で叶えてあげられるから。
料理嫌いの私が、真っ白な生クリームといちごのコントラストにだけは見惚れてしまう。そんな矛盾も、私らしい「洗練された日常」のひとコマとして、大切にしていきたいと思っている。